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父の一周忌を前に

 実家の2階の父の部屋で大きな転倒の音がしたとのことだった。

心配している家族に「大丈夫」と言って
ベッドで寝転びいびきをかきはじめた。
動揺する妹から私に電話が入り、救急車を呼ぶように言った。

 「今時、(くも膜下以外だったら)脳の出血で死ぬことはない」とタカをくくっていたが、
元来、父は酒による不摂生で肝臓が悪く、出血をしたら止まらない傾向があった。
多発性に脳内や延髄に出血が認められ、
意識を回復することなく、三日後に総合医療センターで亡くなった。
平成30年3月15日、須田 昇 享年75歳。

 私はいくつかの施設に訪問歯科診療を週2回ルーティンで行っている。
母も在宅の介護・ヘルパーと世話好き、
上の妹も小規模多機能ホームでケアスタッフとして働いている。
私たちが在宅の歯科医療や介護に関わる職種であるにも関わらず、
運命のいたずらか、父は急逝し、私たちが面倒を見ることはなかった。

 必ずしも人は望む死を迎えられないものだとは思うものだが、
図らずとも父はかねてから話していたように、
「逝くときは迷惑をかけずにすぐ逝きたい」と実行した形だ。

 総合医療センターに入院中に脳外科の先生に
「遠方にいる家族親戚に会わせてあげたい」と申し入れると、
「一度付けると外すことはできませんよ」と前置きをしてくれた上で、
回復の見込みがない父に人工呼吸器を付けてくれた。
本来は立ち入ってはいけない病室に
孫である子どもたちの出入りもしてくれるようにしてくれた。

 病院も破産する時代だし、
先の見込みがない患者にこういうことをするのは
医療費の無駄遣いとも言える。

 しかしおかげを持って、皆が心の準備ができ、
悲しくもあったが笑顔で送り出した。
私も深く感謝した。

 今でも礼を言いたいし、
医療従事者としてもその心遣いを忘れることはないだろう。

 葬儀に際しては歯科医師会や関係者の方々、海上自衛隊の幹部の方、ロータリークラブの方々に
参列して頂き、良い形で送り出せたと思う。

 「誰でも通る道だよ」
肉親の死というのは辛いものだが、
皆が経験していくものだ。
長年介護を続け、疲弊していく人たちを数多く見ているが、
我が家に関して言えばあっけないものであった。

 喪主は母だが、代わりに私が御挨拶をさせていただくことになり、
故人や家族親戚に恥をかかせないように少し何かを考えたような気もする。

 「立派な挨拶だったよ」と仰ってくださった方もいたが、
あの葬儀の2〜3日前後は記憶が曖昧だ。
何を御挨拶に代えさせていただいたか。
せめて故人には恥をかかせてはいなかった、と思いたい。

 記憶が曖昧なのは本当なのだが、
それでもひとつだけ、印象的に残っていたこともあった。
通夜の時に同じ階で行われていた別のご家族の葬儀だった。

 私服の年配の女性が父の葬儀会場、写真や花壇をチラチラと覗き見ている。
警戒心の強い私は、失礼ながらその女性を香典泥棒と疑っていた。
列席者の誰かに話しかけるふりして、
その人に近づいて様子を探ろうと思ったが、
階の奥に戻っていった。

 通夜も遅くなり、弔問も少なくなってきた時に
また香典泥棒(と疑っていた)のあの女性が近づいてきた。
しかし意外なことにその女性の方から話しかけてきた。

 「ご立派なお葬式ですね…お花もいっぱいあって…
うちは家族だけの葬式なのでひっそりとやっています」

 私も歯科医師会の先生方や御家族の通夜や葬儀には多く参列している。
しかしながら家族だけの「家族葬」には当然参列したことはない。
家族関係や親戚との関係や金銭的な負担など
様々な理由から家族葬という送り出しを選ばれることと思う。
結果的な当て擦りに思われなければ良かったのだが、
何か引け目を感じさせたら申し訳なかった。
多分、少しでも華やかにしたかったのだろう。
その時には小さな心で疑った自分を恥じた。

 仕事で在宅に行っても、歯科医師は看取りをする訳ではないし、家族を見送る形まで考えて暮らしたこともなかった。

 今時の平均寿命を鑑みても、父の死がまさかこんなに早いとは思わなかった。

 しかし子どもも成長して大きくなり、
自分も小ジワや白髪が増え、
歯科医師会も若手の先生が増えてきたり、
患者さんでも元気そうであった人が年相応に弱くなってきたり、
いつまでも続くと思っていた仲の良い人間関係もいろんな形で終わっていったり、
人がこの地から離れていったり、
お店も随分と変わっていったり、、、
時は必ず過ぎていくものだ。

 誰しもいつまでも壮健、健脚でさえいられないもので、
自分の祖母が拘縮で動けない姿を施設で見た時にも
あの大好きで聡明な祖母が小さく痩せ細って横たわっていて
自分が優しくしてもらったあの頃あの時代はもうないんだ、と
自分の中の思い出さえも完結させなければいけなかった。

 会わなければ思い出は変わらず楽しいままだが、
それは自分一人にとって都合が良いだけだ。

 自分も人生の後半戦に突入しているし、
あとは気持ちとは裏腹に身体は衰えていくのだろう。

 多くの人を「健康寿命延伸でできるだけ長くてアクティブに」といった動きで
歯科医師会は行政とも協力して事業は行っている。(私もよく携わっている)

 

  しかし私個人は今からの後半戦は社会への「恩返し」の生き方にしたいと考えている。
「生きがい」は誰しも必要だが、個人の楽しい、健康だけの人生なんかよりも
マイナスのイメージが付いたこの社会において、
子どもたちや未来に続く人たちのために
役立つ生き方をしていきたい。
せめて役に立って死のう、と思っている。

 だから健康寿命延伸というよりも、
「役に立って死にたい」
最近はこれをよく公言するようになってきた。

 よく「死ぬ前に思う最後のこと」、なんてのも出ているが、
「もっと自分のことをすれば良かった」と最初に出てくるようだ。
年齢を重ねればその境地に辿り着くのだろうか。
高齢者層に売れるための方便、キャッチフレーズではないのか。
わからない。
今の自分には。

 歯科医師会の委員会の若い先生方や
縁がある幼稚園の児童たちが
家族と楽しそうに過ごしている姿を見ると、
懐かしくもある。

 自分もそういう楽しい時期があった。
これからの人、子どもたちの世代もそうあるべきだろう。
人は家族と幸せに暮らせれば良い。
幸せを享受すべきだ。
その幸せの手助けをしていたい。

 時が流れて、子どもたちみんなが出て行った時に
今と同じ気持ちはないかも知れないが、
誰かのために何かをしている自分でいたい。

 父の気持ちを今更分かる術もないが、
同じく歯科医師であった祖父、父にルーツはつながり、
私は間違いなく歯科の世界に育てられてきた。

 志がどこまで続けられるものか、
歯科や祖父、父に顔向けできる形を考え始めている。